姉妹盟約までの経緯
昭和58年3月、当時与論島の観光宣伝のイメージアップ戦略としてヨロン島観光協会においてパロディ国家「ヨロンパナウル王国」を建国(国王に町長、大統領に観光協会長)。
建国の際、観光地としてのグレードアップ、文化の創造、国際交流の推進が必要との意見が出されました。
昭和59年1月、姉妹盟約候補をギリシャミコノス島に絞り調査を開始、同年4月観光協会副会長がギリシャ政府観光局を表敬訪問、その後ギリシャ政府観光局より内示を受けます。
6月、島内において観光施設の外観の色をミコノス風の白に統一するホワイトキャンペーンを始めます。
同月観光協会総会において、姉妹盟約を締結すべく決議され、その後、姉妹盟約は町対町の盟約であることを確認、観光協会長名をもって町、町議会に陳情、町議会全体で承認されます。
10月、与論町国際友好都市推進協議会を発足、会長に教育長(当時)の益田元甫氏が決定されます。
この時、単に観光振興だけでなく教育文化、農水産物等島全体で町の振興に役立たせることが必要であると協議されます。
11月、ギリシャ政府観光局長(アリス・ピストリス氏)が与論島へ来島、姉妹盟約を協議。
同月、町長を始めとする26名の訪問団がミコノス島へ出発、同月14日、ミコノス市庁舎において川畑浩一町長(当時)、アポストロ・マチオス市長(当時)との姉妹盟約締結に至りました。
昭和60年3月には与論町において、与論町・ミコノス市姉妹盟約締結記念式典を挙行(ギリシャ国駐日大使コンスタンティノス・ディぺロプロス氏来島)。
