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田代町との姉妹盟約の経緯

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昭和20年の終戦に伴い、中国満州開拓団にいた与論島民は帰国後、昭和21年に田代に入植。

満州でお亡くなりになった方たちのためにも、生き残った者が「満州を忘れるな」を合言葉に頑張ると誓う。

入植地名も、満州の開拓地と同様の「盤山」と名づけた。

 

入植先の田代の寛大で人情味豊かな人たちに支えられながら、その温情は20年余り経っても忘れられることなく、田代との友情は続いていった。

 

その後、与論町もアメリカの軍政の苦難から解放され祖国に復帰。

復興事業から振興事業へと国・県のご援助と町民の努力により町民生活も安定向上していった。

 

入植先であった盤山との往来の中で、龍野町長(当時)と川畑議長(当時)が公式に田代町を訪問。

これまでの町当局のご配慮に対し満腔の敬意と深甚なる感謝の意を表し、また盤山同胞に対してもこれまでの苦労をねぎらい今後の問題等についてもいろいろ話合いをした。

 

両町の間に永久の友情を結ぶため姉妹町盟約についての話しが持ち上がり、双方協議の結果、農村振興センター(現:中央公民館)の落成式にご列席の機会に盟約を結ぶことに了解成立。

田代町から原町長さん、町副議長さんをはじめ使節団として17名ご来島されるという連絡を受けた与論町は、ご一行案内のため増尾助役(当時)を鹿児島に派遣。

一行は増尾助役に案内され昭和44年6月5日の晩あまみ丸にて与論に到着。桟橋では町長・議長・役場職員をはじめ一般町民多数が出迎え、打ち上げ花火の鮮やかな閃光の下で花束が贈呈され、龍野町長の歓迎の挨拶を受けた。

翌6日は農村振興センターの落成式に列席、あけて7日午後2時役場前に集合し、与論中学校のブラスバンドの先導で両町長を先頭に両議長、両議員、町内有志の順で役場前から茶花小学校体育館まで打ち上げ花火の爆発音の炸裂する中を熱誠あふれる町民の大歓呼に応えつつ市中パレードを実施し、その後、姉妹盟約を結んだ。

 

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