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文化財

史跡を訪ねる

2009年8月20日(木)

琴平神社 与論島は、沖縄北部の辺戸岬から北東28kmの距離にあり、地理的状況の中で琉球文化の影響を強く受けながらも、島独自の文化を育ててきました。また、昔から様々な伝統や武勇伝が沢山あります。それらの英雄伝説のゆかりの場所や史跡を訪れてみるのもよいでしょう。

与論の英雄 按司根津栄(アジニッチェ)

幼児の頃から武術を好み、琉球王もその武力にほれ込んだほどでしたが、王の怒りに触れ琉球軍に命を落としました。

琉球王は根津栄の死を信じず再度遠征軍を派遣しますが、仁王立ちで大往生した遺体の姿を見て遁走したといわれています。

島民は彼の偉業に感謝し、遺体を祀りました。

 

 

国定重要無形民俗文化財 与論十五夜踊り

十五夜踊りは、島民慰安、島中安穏、五穀豊穣(雨乞い)の祈願と感謝の意味を込め、毎年旧暦3月・8月・10月の各15日に地主神社に奉納される踊りです。

本土風の一番組と琉球風の二番組が交互に踊ります。

平成5年に国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。

 

 

与論城跡

琉球北山王の三男が与論の島主として築城を始めましたが、途中、北山王朝が滅亡したために未完成となっています。

 

与論の豪傑 大道那太(ウプドーナタ)

剛力で海仕事や武力にも長けていた「大道那太」。
琉球王の助けに応じて彼が異国船に向けて放った矢の威力に敵は恐れをなして遁走したといわれています。

 

 

上城遺跡公園

九学会連合や熊本大学などの遺跡調査により、平成5年に調査が行われた遺跡の住居跡。
縄文時代晩末期から弥生時代の後期のものです。

 

 

磯振墓(イシュブリ墓)

初代与論主「花城真三郎」・二代「殿内与論主」・七代「田畠首里主」の三柱が葬られている琉球式の墓。

田畠首里主の構築であると、いわれています。

 

 

奄水(アマンジョウ)

与論島の人類渡来発祥の地とされ、島に初めて人が渡来した時にここの水を発見して、それから島に人が住み着いたと伝えられています。

 

 

屋川(ヤゴー)

この地下の湧き水は、与論世の主が築城時代から使用されていたという説もあり、水道施設が整備されるまでは城集落の生活用水として利用されていました。

最終更新日 [2010年2月26日]  
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