食生活(アシクイ)
主食は唐芋やソテツの実のでん粉をあく抜きしたものを食べていた。米はお祝いのときなどにしか食べられなかったと言う。田が少なく多く作れなかったこともあり、田を多く持っている家は有力者であった。他に大麦、小麦,粟や豆類が栽培されていて、農作物と魚など物々交換されていた。牛や豚など家畜が飼われ農作業に使っていた。豚や鶏は、祝い事や正月につぶされ塩漬けにされ保存食にされた。他に、アイゴの稚魚の塩漬け(スクガラシ、イユガマ)、イカ墨の塩漬け(イチャガラシ)やニンニク漬け(ピルガラシ)・ラッキョウ付け(ダッチョウガラシ)などの保存食が有る。野菜(ヤッセー)は、大根(デークニ)・人参(ミンジヌ)・カボチャ(ナルカン)・冬瓜(シブイ)・キュウリ(ウイ)などが栽培され、おかず(ハティムヌ)として海苔(オーサ)・魚などと一緒に汁に入れ、食べていた。
あと、トビウオなどの魚は、一夜干しや薫製にしたり、豚肉などと味噌に漬け(アブラミシュ)たりして保存食にして食べた。水は、島に川がないので天水を水瓶に溜めたり、井戸水を利用した。
◆代表的な郷土料理
ミシジマイ(炊き込みご飯):豚肉とネギなどのグと一緒に炊いたご飯。お祝い事に主に食べられた。
ドゥーシマイ(雑炊):1月7日によく食べられ、七草粥のようなもの。
ウンニーマイ:唐芋・田芋を蒸かしたものと、もち米を炊いたものを突き混ぜたもの。1月15日に主に食べられた。
住居(ヤー)
住居は、3間角に茅葺屋根で円錐形に近く、台風の風の抵抗を小さくするようになっている。
周りには、木を植えて防風林にしている。基礎は大きな石を柱の下に置いただけのウプドゥバイヤ造りが基本であった。主に9本柱で、母屋と台所は別棟になっていて、台所は石垣の壁に土間で火事になりにくい造りになっている。倉庫は、高倉造りでねずみや湿気から穀物を守っていた。
戦前までは、このような住居ばかりだった。それ以前の住居や生活の起源をたどると、遺跡調査により縄文時代まで遡ることが出来る。
昭和29~30年に九学会連合が行った調査によれば、朝戸遺跡から磨製石斧、打製石斧、類須恵器片等が発見されている。その後、熊本大学の調査によると、朝戸地区からフェンサ下層式土器、類須恵器、南宋白磁等が出土し、ヤドンジョウ遺跡からは沈線文土器、喜念(1)式土器、宇宿上層式土器等が出土している。