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歴史・伝統文化

与論町のあゆみ(~大正)

2009年8月6日(木)

与論館落成式 1266 年(文永3 年)~1926 年(大正15 年)までの与論町のあゆみ

1266 年(文永3 年)
・琉球国の英祖王に納貢し、琉球所属となる


1405 年(応永12 年)-1416 年(応永23 年)
・琉球北山王の三男王舅が与論城を築く
・城は北山滅亡のため未完成となる


1525 年(大永5 年)
・又吉按司、与論島主となる


1561 年(永禄4 年)
・十五夜踊り始まる


1609 年(慶長14 年)
・島津の琉球入り、尚寧王降伏


1610 年(慶長15 年)
・薩摩藩の所属となる
・直川智、サトウキビを初めて大島の大和浜に栽培


1612 年(慶長18 年)
・大島本島に代官を設置


1616 年(元和2 年)
・徳之島に代官を設置
・屋口与論主藩主任官となる


1682 年(天和2 年)
・蘇鉄(そてつ)植栽始まる


1690 年(元禄3 年)
・沖永良部島代官、徳之島より分離


1691 年(元禄4 年)
・(人口1,294 人)


1719 年(享保4 年)
・琉球王へ贈物


1721 年(享保6 年)
・(人口2,130 人)


1778 年(安永7 年)
・痘瘡(天然痘)が大流行し、大飢饉となり多数の死者が出る


1781 年(安永10 年)
・台風が襲来、大飢饉となり、琉球より米を拝借


1799 年(寛政11 年)
・(人口3,357 人)


1800 年(寛政12 年)
・琉球国王へ贈物


1808 年(文化5 年)
・唐(中国)船、茶花村大浦(うぶら)へ漂着


1809 年(文化6 年)
・大干ばつのため、翌年まで大飢饉となる


1815 年(文化12 年)
・(人口3,530 人)


1819 年(文政2 年)
・沖永良部島にサトウキビの植付け始まる


1824 年(文政7 年)
・金比羅神社を樋口石垣上に建立
・(人口4,248 人)


1825 年(文政8 年)
・天然痘が流行


1826 年(文政9 年)
・天然痘が流行し、大飢饉となり多数の死者が出る


1829 年(文政12 年)
・大島、砂糖を総買上げ、金銭取り引き始まる


1831 年(天保2 年)
・(人口3,180 人)


1835 年(天保6 年)
・金比羅神社を上城へ移す
・麻疹(はしか)流行


1838 年(天保9 年)
・(人口3,203 人〈男1,617 人、女1,586 人〉)


1845 年(弘化2 年)
・(人口3,700 人〈男1,878 人、女1,822 人〉)


1851 年(嘉永4 年)
・疫病が流行し、250 人が死亡


1852 年(嘉永5 年)
・(人口3,888 人〈男1,994 人、女1,894 人〉)


1869 年(明治2 年)
・高千穂神社を建立


1871 年(明治4 年)
・地主神社を建て氏神をまとめて祭る


1873 年(明治6 年)
・鶴政信氏初代戸長に就任
・砂糖の売買が自由になる


1875 年(明治8 年)
・沖永良部支庁の管轄となる
・大水間切と東間切に戸長役場を設置
・一般の人に名字がつけられる
・学問所(ナンカル学校)開校(児童数90 人、教師5 人)
・(人口5,683 人)

 

1877 年(明治10 年)
・西南戦争に2 名出兵

 

1878 年(明治11 年)
・風葬が禁止される
・亭野学校(与論小の前身)開校
・チフスやコレラが大流行
・与論郵便局を城に設置(局長 平直和加氏)

 

1879 年(明治12 年)
・汽船が初めて入港

 

1880 年(明治13 年)
・戸長役場を城にまとめる
・上野應介氏戸長に就任(21 年間在職)
・田畑の検地・登録を実施


1882 年(明治15 年)
・税金が金銭化される


1884 年(明治17 年)
・十五夜踊りが中止される


1886 年(明治19 年)
・天然痘・台風・火災の被害により飢饉


1887 年(明治20 年)
・与論簡易小学校となる


1890 年(明治23 年)
・沖永良部警察署与論駐在所を設置
・十五夜踊りが復活


1894 年(明治27 年)
・日清戦争に9 名出兵


1897 年(明治30 年)
・簡易小学校を廃止、与論尋常小学校となる


1898 年(明治31 年)
・猛烈な台風が襲来し4 年間大飢饉となる


1899 年(明治32 年)
・足戸に巡査駐在所を設置
・裁判所出張所を城に設置
・長崎県口之津への移住始まる


長崎県口之津町での与論館落成式(平成7 年2 月)
与論館:明治32 年に集団移住して石炭積出し労務に従事し、口之津繁栄の一端を支えてくれた与論の人達が使った当時の住宅(与論長屋)を館内に縮小再現した他、与論との縁を物語る様々な資料を展示し、その絆を永く伝えようと築いた館。


1900 年(明治33 年)
・与論尋常小学校の分校を茶花と那間に開校


1901 年(明治34 年)
・梅山藤里氏戸長に就任


1904 年(明治37 年)
・日露戦争に25 名出兵


1905 年(明治38 年)
・戸長役場を城から茶花に移転
・時千良氏戸長に就任


1906 年(明治39 年)
・赫助熊氏戸長に就任


1908 年(明治41 年)
・与論村となり村役場を置く
・龍田佐隆史氏初代村長に就任
・第1 回村会議員選挙実施


1909 年(明治42 年)
・菅原神社を琴平神社に合祀する


1911 年(明治44 年)
・茶花・麦屋(西区)間に道路開通
・大野好文氏県会議員に当選


1912 年(大正元年)
・龍宮辰次郎氏村長に就任


1914 年(大正3 年)
・第1 次世界大戦に10 名出兵


1915 年(大正4 年)
・龍中興氏村長に就任


1916 年(大正5 年)
・与論島一周道路が開通
・皆吉平安禎氏村長に就任


1917 年(大正6 年)
・麦屋と立長から分立して城字ができる


1918 年(大正7 年)
・山下平志氏村長に就任


1919 年(大正8 年)
・麦屋から西区と東区に分かれる
・茶花尋常小学校と那間尋常小学校が独立


1920 年(大正9 年)
・足戸・古里・那間から分立して叶字ができる
・(第1 回国勢調査による人口7,916 人)


1922 年(大正11 年)
・電報が打てるようになる


1924 年(大正13 年)
・山喜見政氏村長に就任


1925 年(大正14 年)
・(国勢調査による口7,661 人)


1926 年(大正15 年)
・村立青年訓練所与論小内に開設

最終更新日 [2009年8月6日]  
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